5月24日の農作業記録
おはようございます。今日は5月24日土曜日、昨日に続いて連日農業をしております。今日は黄蜜の畑に来ているのですが、前回の草刈りから2週間ほど経ったので様子を見に来ました。
事前に**白クローバーをばら撒いておいた**おかげで、それほど草たけは伸びていませんでした。とはいえ、次回来れるのが多分6月の半ばとかになるので、念のため刈っておこうと思います。土壌改良用の緑木がそこそこ茂っているので、この辺も刈って木が植わっているところなどに配分しておこうかなというところです。
こちらは午前中で仕事を終えて、また市原の方に行って豆でも取って帰ろうかなと考えています。そうそう、ここ一緒にやっている友人がいるのですが、友人の親子で植えた、というか撒いた種たちが全然うまく発芽していないんですよね。一部大根は顔を出しているんですけど、とはいえなんか全然育たない。まあ土壌かき乱した後直後だし、肥料もやってないしということで、ちょっと胸が痛むので僕の手持ちの大根やその他の種もちょっと撒いておいてあげようと思います。
午前の作業を終えて
黄蜜の草刈りを終えて、現在市原に向かっております。黄蜜の方は思ったほど草が生えていなくて、全面それなりに手入れしてきたのですが、半日で済んだなという感じです。
今日は20度ぐらいまでしか上がらない曇天の日なのですが、先週結構やっぱり30度前後まで気温が上がったので、**太陽熱でお弁当が温まるぞ**と思って弁当を持ってきているんです。でも今日のような曇天だと全く温まらず、なんか中途半端な温度のご飯で残念な気持ちになりました。お腹壊さないといいなと思っています。
エビデンスベースドポリシーメイキング(EBPM)への疑問
午前中に聞いていたニュースですごく気になることがあったので、忘れないうちに話しておこうと思います。
その気になったニュースというのは、どこかの都市で(すみません、ちょっとどこの都市だったかは忘れてしまったのですが)、シンガポールとかもそうだという話をしていましたが、**行政の文脈で都市計画を様々なシミュレーションをベースに**検討するという内容でした。
現在の都市の3Dモデル、3Dコピー、デジタルツインというのでしょうか、それを作って30年後にいろんなAIとかビッグデータみたいなものを活用して、「30年後にこのような環境になる場合、このようにしておいた方が良さそうだ」みたいなアプローチで都市計画を検討するというものです。
もちろん例えば気候変動がこういう傾向を辿った場合とか、人口動態がこのような変化を辿った場合みたいな、かなりのパターン数をインプットして、AIによる分析出力によって、あらゆる可能性を踏まえて最終的には人間が意思決定していくみたいな話だというふうに理解したんです。
「エビデンス」という言葉の使い方への違和感
なるほど、とても面白いアプローチというか、最新のアプローチで素晴らしいですねと思って聞いていたのですが、気になったのは、そのアプローチのことを**エビデンスベースドポリシーメイキング(EBPM)**と言うんですってね。
何が気になったかというと、「エビデンスベースド」って合ってるって思ったんですよ。そんな細かいところに突っ込まなくてもいいじゃんと言われそうですけど、**エビデンスって言いますかね、それ**。別に何の証拠でもなくないですか。
だって、エビデンスが存在し得る状態っていうのは、何かがすでに起こった後ですよね。例えば、会社の売上が1億円立ったとします。新たに1億円の売上見込みを獲得しましたよね。そのエビデンスは「この契約書です」っていう順序ですよね。
1億円の売上の請求書を発行して、顧客から金銭を入金していただきます。1億円なんてお金を簡単に動かせるわけがないので、エビデンスはってなりますよね。それはこの契約書であり、この納品物であり、顧客企業のしかるべき権限を持った担当者が納品を承認している検収というものがあり、その検収を受けて契約書に基づき請求します。そして顧客企業の経理担当部門は、一連のエビデンスに基づき代金の振り込みを実行します、っていう風に使われるのがエビデンスだと思うんですよね。
未来のシミュレーションにエビデンスは存在するか
ってことは、**エビデンスってそもそも過去に発生した事象しか表せない**んじゃないですかと思ったんですよ。なので未来のシミュレーションを行ったというところに、エビデンスって発生し得なくない?みたいな。
そのシミュレーションの結果自体がエビデンス?いやー、めちゃくちゃ違和感あるな。「意思決定のエビデンスとしてはこのシミュレーションです」、それでもエビデンスとはどうやっても言い難いな。「意思決定の根拠としてはこのシミュレーションの各種パターンから導き出される推論です」っていうことは言うことができると思うのですが、「今回の意思決定のエビデンスはこのシミュレーションです」って、めちゃくちゃ変じゃないですかとめちゃくちゃ思っていて。
そんな大きな大組織を動かすための意思決定の仕組みに、めちゃくちゃ間違ってる言葉を当ててるのって大丈夫かって思ったんです。
日常の運転から考えるエビデンスの本質
大丈夫ですよというロジックもあるかもしれないので、一旦それを受け入れたとしましょう。そうしてしまうと今度は、**エビデンスってそんなに大事?**それまでをエビデンスに含めてしまうと、エビデンスというものの価値がめちゃくちゃ下がりませんか、っていうふうに思っちゃったんですよね。
未来がそこまでを含めたものをエビデンスだと理解しているのであれば、エビデンスマジでなくてよくない?過去の事象に対するエビデンスはあっていいと思いますけど、未来の事象に対するエビデンスって何も意味なくない?って思いませんかね。
つまり**未来に発生することの証拠っていうのは存在し得ない**ですよね。推論の根拠は存在し得ますよね。例えば僕は今現在も推論の連続をして生きていますので、例えば今現在車を運転しておりますけれども、例えば今信号が赤ですが青に切り替わった。なので発進します。
そこに含まれる未来に対する推論というのは、「この青はとりあえず僕が通り過ぎるまでは赤にならないでしょう」という推論のもとに意思決定してますよね。また、車を発進させる時にブレーキから足を離してアクセルを踏みます、といった一連の行為の中にも、「アクセルを踏むと車が前に進みますよね、進むよね」という推論のもとに意思決定して足をギュッと踏んでるわけですよ。
経験と推論の違い
これは経験的にとか、もちろん全く一回も運転をしたことがない、全く一度もアクセルを踏んだことがないなどの場合は、経験というよりも知識として「アクセルを踏むと車が前に進みます」という学習の上に推論をして踏みますよね。僕は相当車は乗ってるので、かなり確からしい経験による根拠の上にアクセルを踏み込んでるわけですけど、**ここに何かエビデンスってなくない?**
過去にアクセルを踏んだら車が前に進んだからといって、それはそこには今回も前に進むというエビデンスはなくないですか?ないよね、やっぱりないよね、どんだけ考えてもないな。例えばガソリンがゼロになっていて進まないとか、何らかの仕組みが故障していて進まないという可能性はありますよね。
なので、あくまで過去事例を参照し前に進むであろうという推論のもとに意思決定している。根拠はこれまでも前に進んだからです、ですよね。そこにエビデンス何もないんだよな。
言葉の価値を守るために
だから**エビデンスという言葉を未来の予測に対して使ってしまうと、エビデンスという言葉がチープ化するからやめた方が**、とてもやめた方がいいと思いましたということと、ちょっとこれ言語化が難しいんですけど、そこまでをエビデンスに、要するに未来のシミュレーション、未来に関するシミュレーションまでをエビデンスに含めてしまうと、何か今僕が言っていた事例、車が前に進むかどうかみたいなことは割と小さなことですけど。
例えば新しい事業を大きな会社とかで新しい事業を立ち上げて、3年後までに100億円、5年後までに市場のドミナントを取って500億円の新事業を立ち上げます、といった時に「エビデンスは?」って言われてもないよね、無理だよね。**事前にエビデンスを提示することは絶対に無理だ**と思うというか、エビデンスという言葉はそのようには使わないと思っていて。
AIにいろんな条件をインプットして考えてもらって、100通りのパターンとそれらが起こる確率を推論してもらった結果、「この事業は先ほどお伝えしたシナリオの通りに当社の新たな収益の柱の一つとなり得ます」。今発言したそれでもエビデンスは使えない、っていう話はできると思いますけど、そこにはエビデンスはないよね。
AIが予測したバッドシナリオの方にいかないエビデンスってどうやって作るのか。**未来のことに関してはエビデンスは作り得ない**ので、ぜひこのEBPMという言葉を変更してほしい。AIによるシミュレーションに基づいた政策意思決定みたいな、別の単語を作った方がいいと思います。
こういうの気になっちゃうんですよね。素直に受け入れればいいのに、そんな性分だなと思います。
※この記事はポッドキャスト音声データを元にAIが書き起こし、編集したものです。
