先日、同い年の友人と車で東北エリアを旅してきました。移動中の会話時間だけで、たぶんトータル20時間くらい喋っています。もちろん無言でぼーっと外を眺めている時間もそれなりにありましたけど、それでも大半は喋りっぱなし。二人とも喋りすぎですね。その中で妙に心に残った話がいくつかあったので、感想文として書いておきたいなと思います。
いちばん印象に残ったのは、不妊治療の話でした。彼は僕と完全に同い年で、今年48歳になる年です。離婚歴があって、現在の配偶者との間で、子どもの将来を考えた家族構成としてもう一人いこうか、という話になっているらしい。家庭の細かい事情には踏み込むべきではないので割愛しますけど、要するに彼はこれから不妊治療に向かうところなんですね。
で、僕はその不妊治療の話を聞いていて、知らないことばかりで結構しみじみしてしまいました。まず、最近は保険が適用されたり、行政区によっては補助金が出たりするらしい。これは初めて知りました。子どもを増やしたい自治体は多いですから、なるほど確かにそうか、と。ただその補助が、母体の年齢でかなり条件が変わるんですね。彼が言うには、母体が40を過ぎると劇的に補助が減って、41でさらに減って、43で打ち止め。それ以降はもう補助が出ない、という感じらしい。
両親の年齢が上がるほど障害の発生率が有意に上がることも、45歳で一人目の出産となると母体への負荷が高く危険であることも、医学的・疫学的に相関が証明されているようですね。もちろん45歳で一人目を頑張りましたという話も聞かないわけではないので、そこから先は個別の問題なんだと思いますけど、一般論としてはそういう理屈があるらしい。
そして、ここが僕にとってはいちばんの衝撃だったんですけど、下がるのは母体の側だけじゃないんですね。精子の性能も、40を過ぎると結構下がっていて、ダウン症のリスクもはっきり上がっている、と言われるらしい。僕はこれを全く知りませんでした。60歳でも子どもを作っているおじいさんがいるやん、くらいの認識だったので、まだ気軽にいけるわね、と思っていていいことじゃなかったんだなと。へえ、となりました。興味深い、というか、しみじみする話でしたね。
僕自身は、以前ミッドライフクライシスの文脈で話したとおり、子どもを持たないことがほぼ確定したなという感覚でいます。生物的にはまだいけますけど、受ける意思がそんなにないし、受けないからこそできることをやっているという自己認識なので、これをひっくり返すことは多分ないでしょうね。仮に同年代の女性とマッチングしたとしても、子どもを作りましょうという話にはもうならない。作るとなったら10歳以上年下とマッチングしないといけない年齢まで来ましたよね、という話です。
ちなみに彼、旅の別のくだりでは「子どもが3人いて5人家族だから車が6人乗りで」と言っていたんですが、そこには嘘が含まれていて(笑)、実は前妻との間にすでに4人いるんですね。その状態で、前妻とも合意した上で次を仕込みにいく、と。いやー、すごい話だなと思いました。
で、車の中でこの話を聞きながら、勝手に頭の中で子育てのコスト計算を始めてしまいました。子ども一人育てるのに2000万、インフレを乗せれば2500万から3000万という世界に今は突入していますよね。彼の場合、最初の子が17くらいで、これから最後の子が生まれるので、最初の子から最後の子まで面倒を見る期間はざっと35年。その35年で1億5000万を捻出できるか。まあ、無理ではないんですよね。就職していれば35年で2億から3億くらいが一般的な収入だとして、自分たち夫婦が生きるのに1億、子どもたちに1億5000万、全部消えてなくなりました、という設計なら成立する。しかも老後に稼いではいけないルールがあるわけでもないので、そこから先は自分たちで使えばいい。そう考えると、思ったよりなんとかなるんですね。
子どもは生産力か、消費力か
この計算の途中で、彼が誰かの受け売りで面白い説明をしてくれました。経済が発展して都市化した文化圏では子どもが減る、というのは結果論として誰もが観測しているところですけど、なぜそうなるのか。その説明の一つが、農村部では子どもは生産力だけど、都市部では子どもは消費力だから、というものです。
都市部の子どもは、お金が出ていくばかりで、18歳や20歳になるまで生産に参加できない構造になっている。一方で農村部では、農作業に限らず、片付け、洗い物、作物の仕分け、もみすりといった作業を子どもに任せられる。子どもが役に立って、自己効力感を持って暮らせる構造がそこにはある。僕はこれだけが少子化の要因だとは思わないし、話していた本人もそうは思っていないでしょうけど、力強い圧力の一つになっているというのは、すごくすっきりする説明だなと思いました。
で、ここで喋りながら僕はふと思ったんですけど、都市部で子どもを労働から締め出しているのって、産業革命時代のひどい児童労働の反動でしかないんですよね。だから「全くさせるな」というのは、実はちょっと変な話じゃないか、と。10歳くらいになれば企業のホームページのコーディングくらいできますからね。ちゃんと社会勉強として仕事をさせるのは、むしろ本来やるべきことなんじゃないか。都市化で消えた「子どもの生産力」は、法律や文化を変えれば取り戻せるものでもあるわけです。中高生のアルバイトだって、その一形態ですよね。
ここから急に事業アイデアに火がつきました。高校生でもできる仕事を集めて、ちゃんとした給料を払って派遣する、みたいなプラットフォームを株式会社として立ち上げたら面白いんじゃないか。しかも「少子化を緩和したくてこれをやっています」というメッセージまでセットで出せるなら、これは考える価値がある。もちろん一石で解決するとは思いませんけどね。集客や営業といった、子どもだけでは難しい部分は大人が手伝えばいい。中高生が自力で仕事を取ってくるのも美談ですけど、目的はそこじゃないですから、大人が営業を手伝うことは何も問題にならないんですよね。僕自身は田舎に移った立場でこれを主導するのは筋が通らない気もするので、多分やらないんですけど、事業アイデアを書き込むサイトがどこかにあったはずなので、もう少し設計を詰めて投稿しておこうかなと思っています。
依存先を分散させることが自立だという話
旅の雑談では、事業の話もいろいろ出ました。共通の知人の起業家で、バズワードに引っ張られて次から次へと事業をピボットしていて、だから数字が悪いよね、という人がいるんですね。そこは彼と完全に合意でした。ただ、その人が最初に立ち上げてすぐ引っ込めたサービスについては、僕は「数字が悪い」とは思っていなくて。経済合理性の前に、このサービスがあったらいいという本人の思想や意思が根っこにあったんですね。だからそれを数字で断罪はできないし、むしろ数字が良いとさえ言える、という話をしたら、彼もそこは反対しませんでした。
問題は構造のほうなんですよね。資本の論理で資金調達をしてしまうと、期限付きで投資家にお金を返さないといけない環境が生まれる。だから彼は思想的にはやりたかったサービスを引っ込めざるを得なかったんですね。でもそのサービス、B2Bのクラウド化サービスで、今なら弁護士ドットコムあたりが取り組みそうな領域だったんですけど、たぶん経済規模がデカすぎて逆に大手はやらない。だったら中小企業の起業家二人から生まれる事業だってあるよね、ということで、実はこれを一つ立ち上げようかなと思っています。
もう一つ、彼は不動産業もやっていて、今の仕事だけで食えないわけじゃないんですけど、メインが消える可能性に備えて月20万、30万上がる別の事業を持っておきたいと。何かアイデアない?とブレストしたら、逆に「だったらAirbnbの運用やる?」と提案されました。僕がメンテナンスできる距離に彼が物件を買ってくれて、運用を僕がやってレバレッジをシェアする。2、3件買えばなんとかなるんじゃないか、という話です。不動産は一件回り始めると、それを担保に次の投資ができる回転が生まれる。彼はもうその回転を持っているので、次どうしようかというタイミングだったんですね。
じゃあなぜ僕が自分でやらないのか。単純にその回転を持っていないからです。しかもタイミングが悪くて、会社を倒産させられてしまって、四桁万円の借金が桁で残っている状態なので、銀行からストレートに借りるのは今は無理。しばらく待ったほうがいい局面です。とはいえ投資は早く始めたほうがより多くの利益を生むという考え方もあるので、彼がその気になってくれるなら乗っかってみてもいいかなと。そこでノウハウを作りながら数年やれば、いずれ自分でも物件を買えるようになるかもしれない。実は別の方角からも似たような話をもらっているので、まあそういう時代感なんでしょうね。
宿泊業なので、ありえない汚し方をして帰る客もパッと出てくるでしょうし、そういうのは精神ダメージを受けそうだなとは思います。でも、嫌なことをコントロールしやすい範囲でやるなら、事業そのものはやっぱり楽しいんですよね。フリーランスの世界では、依存先の数をある程度分散させておくことこそが自立だ、とよく言われます。僕にはITや制作・クリエイティブという軸があって、農業という軸を立ち上げ中で、そこにもう一本、宿泊業周辺という軸を足せるなら、まあこれくらいあれば死にはしないな、という感覚になれる。だからもう一本、軸を持ってきたいんですよね。というか、持ってくるべきだなと。
ロードトリップをすると、こういう話がどんどん深掘りできて面白いんですよね。彼とだけじゃなく、またこういうイベントを起こしていきたいなと思っています。
※この記事はポッドキャスト音声データを元にClaudeが書き起こし、編集したものです。

