真鶴道路を走りながら、海のほうをちらちら見ていました。波が高いです。遠くにいる台風の影響だと思いますが、風もそこそこ出ていて、頭に浮かぶのは畑のことばかりでした(畑が心配です、パート2)。
数日間の長い車旅からの帰り道です。運転中は考えごとがはかどるので、ここ最近ずっと頭の中を回っていた話をひとつ書いておきます。
衣食住という言葉があります。ずっと昔からある言葉ですが、最近の僕は「これを横並びにするのはおかしくないか」とかなり強く思っています(人間の三大欲求、食欲・性欲・睡眠欲を同列に並べるのにも同じ違和感がありますが、それはまた別の機会に)。
同じ違和感、違う着地
ちょうどそんなことを考えていたタイミングで、社会派ブロガーのちきりんさんが同じテーマを話していました。僕はVoicyの無料部分を聞いていて、ブログや書籍にも昔から時々触れてきた読者のひとりです。僕自身、社会問題に腹を立てたり悲しんだり、何か自分にできないかと考えたりするタイプなので、社会派の人のコンテンツはつい摂取してしまうんですよね。
で、面白かったのは、テーマは同じなのに、出発点も因果関係の組み立ても着地点もまるで違ったことです。そっちから見ればそうなるよね、と納得しつつ、僕は別の方角から見ているので結論も違う、という感覚でした。
ちきりんさんの話はこうです。衣食住は並べて呼ばれているけれど、重みはそれぞれ違う。東京をはじめ、おそらくニューヨークでも上海でもロンドンでもパリでも、大都会では住宅を確保するコストがべらぼうに高くなっている。反対に衣類はファストファッションの台頭で、30〜40年前、あるいは親の世代の50〜60年前と比べてとんでもなくコストダウンしました。食料も下へ下へと下がってきた時代がありました(最近はインフレで上向いていますが)。
つまり衣と食の支出割合は下がり続け、住だけが右肩上がりで重くなっている。だからライフプランのポートフォリオの中で、住の比重を大きく見積もらないといけない時代になりました。構造的な話なので止まりそうにないし、社会問題のひとつだよね、という内容だったと僕は受け取りました。
これはそうだろうなと思います。車旅のあいだ友人ともこの話をしていて、学生のワンルーム事情に限れば、むしろ相対的には下がっているのでは、という説も出ました。僕らが学生の頃は6〜7万円のワンルームを借りて、最低賃金600円台でバイトしていました。今は東京だと時給1,200円、1,300円を提示するところもあります(居酒屋のような多少きつめの仕事や、スキルが期待される仕事の話ですが)。1Kが9万円だとしても、バイト代との釣り合いで見れば昔より楽なのでは、というわけです。
一方で、子どもが生まれても10年、15年住むつもりで買うマンションは、もう1億円では買えないところまで来ています。行き過ぎ、と評価するのも違う気がしていて、自由競争に任せればこうなります。r>gの世界、ピケティの『21世紀の資本』がそのまま現実になったような状態ですよね。
自然状態から考えると、食しかない
ここからが僕の話です。僕の結論は、食がいちばん重要なのでは、ということです。コストがどうかという話はいったん横に置きます(その観点からも論じられる気はしていますが)。
啓蒙思想家が自然状態を想定したように、ゼロに立ち返って考えてみます。1万年前、高度な加工技術も思想も、少なくとも記録としてはまだない時代です(アニミズムくらいは絶対あったと思いますけどね)。衣類はほとんど身につけていなかったでしょうし、住まいもたまたまできていた岩穴を使っていた程度だったはずです。
それでも食べることだけは、一日たりとも省略できません。木に勝手になった実を食べる。そこらの草をかじって、あ、これおいしいやんとなります。キノコでうっかり命を落とし、別のキノコで食えるやつを見つける。鳥や魚を捕まえ、マンモスを狩る(その頃には火を使っていたんじゃないかな、わかりませんけど)。火がなくても、海水にどぶんとつけて太陽に当てておけばおいしくなる、干物のような食べ方は普通にしていたんでしょうね。
これは人間に限らず、何かを食べて生命を維持する動物すべてに言えることです。哺乳類でも魚類でも鳥類でも、食が圧倒的にナンバーワン。社会環境しだいで住のほうが重く見えることはあっても、生きものにとっての本質は変わっていないと思うんですよね。
だから日々のアクションがどうこう、という話ではないんですが、自分の行動原理にはこれが深く関わっているなと思います。ちゃんと農家をやると決めて修行を続け、売上も立ち始めたこと。食料生産に執着していること。料理が大好きで、来客があると腕によりがかかること。誰かを食べさせる側に回っている状態は、たぶん相当心地いいんですよね(人の役に立っている、とまとめるのは短絡的であまり好きではないんですが、そういうことなのかなとは思います)。
で、ちきりんさんの話に戻ると、住の重みが経済的に大きいというのは、確かにそのとおりです。ただ、少し経済偏重に見えます。
というのも、住のコストは自分で下げにいける時代になっているからです。全員ができるわけではありませんが、リモートで働ける技術や経験を身につければ、住む場所はかなり選べます。僕はたまたまシステムを組んだりコードをいじったりする仕事に寄りましたが、それだけではありません。ポッドキャストスタジオを立ち上げている人たちは、音源を受け取って自宅で編集し、完成度を上げて送り返しています。地面にとらわれていないビジネスですよね。ライターも取材で移動は多いですが、伊豆新聞があるように、地域に根ざしたライターは明確に存在しています。
こう捉え直すと、住のコストは100%とはいかなくても、自分の意思決定の側にある程度寄せられる要素です。東京に縛られている、と見るよりも、東京から軸足を抜くこともできる、という自己認識で生きていけば、住の経済的な重さは致命的な問題にはならないのでは。どうでしょうか。
念のため書いておくと、誰でも地方移住すれば生活が成り立つ、と言いたいわけではありません。人がいるところに引力が生まれ、仕事が生まれ、経済があって生活ができます。だから東京から離れられない。それはわかりますし、8〜9割の人はそれで結構だと思っています。
ただ、残りの10〜15%くらい、週末は山に登りたい、海で遊びたいという強い気持ちで都会を離れる人が、もう少し増えてほしいんですよね。限界集落は名前のとおりもう限界だと思いますが、その手前、中の下くらいで、これから限界に近づいていく土地はそこそこの数あります。人口が減っているので当たり前の話です。
綺麗に解決、とはいかなくても、緩和策のひとつにはなるはずです。僕は移住で100万円ほどの補助金をいただきましたが、それは引っ越し代程度の話でした。本当に大変なのはその後の10年、20年の生活基盤づくりで、そこがもう少し応援されるといいなと思います。車旅の雑談でも、話はどうしても行政や法律に収束していって、最後は政治家ね、となりました(自分がなる気は今のところ片隅にもありません)。とはいえ市民のひとりとして、何らかの意思を持ってアウトプットはしていきたいなと思っています。
最後は地方移住の話になってしまいましたが、言いたかったのは、衣食住を横並びにするのは変じゃないか、ということです。住が重く見えるのは、大都会にいることを前提にしているから。その前提を外して自分の人生を考えると、食が重要になります。僕は必ずそうなると思っているんですが、窓の外はまだ波が高くて、とりあえず今は畑のことが気がかりです。
※この記事はポッドキャスト音声データを元にClaudeが書き起こし、編集したものです。

