政治思想の自己発見と自宅での駐車場トラブルやら農作業

朝のトラブルから始まった一日

6月4日の朝、東京都内の1戸建てから市原の畑へ向かう予定だったのですが、思わぬトラブルに見舞われました。23区内の住宅事情って、想像以上に駐車場事情がシビアなんですよね。お隣さんの状況がちょっと変わっただけで、駐車の難易度が一気に跳ね上がってしまうんです。

今回は特にひどくて、どう切り返しても車を出すことができない状態になってしまいました。何度もチャレンジしているうちに、元の位置にも戻せない絶望的な状況に陥ってしまったんですよね。仕方なく、中途半端な出庫状態で張り紙を残して、インターホンにすぐ対応できるよう家で待機していました。

幸い、お隣さんが出庫されたタイミングで何とか脱出できたのですが、予定よりもかなり遅い時間になってしまいました。それでも今日は絶対に畑に行かなければならない理由があったんです。

ニンニクの天日干し作業

なぜ無理をしてでも畑に向かったかというと、**ニンニクの天日干し作業**が待っていたからです。もう3日目になっていて、昨日は雨で作業ができなかったので、これ以上放置するわけにはいかない状況でした。

ニンニクって単価が高い作物なんですよね。100玉もあると1万円以上の価値があるので、これを無駄にするわけにはいきません。経済的損害を考えると、どんなに時間がなくても片付けなければならない作業でした。

結局、農地にいられたのは1時間ちょっとという短時間でしたが、何とかニンニクの回収作業を完了できました。他にもやりたい作業はたくさんあったのですが、それは土日に回すことにしました。

畑での小さな発見

短時間の作業中に、心温まる光景を目にしました。お隣の芋類をたくさん作っている畑に、おそらく近隣の幼稚園の子供たちがやってきていたんです。子供たちの元気な声が聞こえてきて、とても癒されましたね。

自分の畑は相変わらず肥料もやらない自然農法で、生育は遅めなんですが、他の畑のジャガイモもまだ収穫期には入っていない様子でした。なので、特別遅れているわけではないようです。

ただ、キタアカリという品種のウネが結構病気にやられていて、モザイク病のような症状が出ているのが気になりますね。一方で、トウヤという品種の方は立派に元気に育ってくれています。実際に実もついていたので摘果しましたが、こちらは順調に成長してくれているようです。

政治思想への目覚めと混乱

さて、今日の本題に入りたいと思います。最近、特にここ1週間で、自分の政治的立ち位置について**大きく面食らっている**状況なんです。面食らうという表現でも足りないくらい、戸惑いと驚きの連続でした。

これまで自分は漠然と**リベラル寄り**だと思っていました。古き良き男性優位社会のようなものは変えていくべきだと考えているし、フェミニズムについても一定の理解を示してきたつもりです。ただ、それが具体的にどういう政治思想と結びついているのかは、正直よく分かっていませんでした。

歴史を学んで見えてきた現実

ここ2週間ほどの間に、日本の近代史に関するオーディオブックや、池上彰さんと佐藤優さんの対談本で日本左翼の成り立ちと歴史について学ぶ機会がありました。たまたま連続的に聞いたことで、これまで断片的にしか知らなかった歴史が一本の線として繋がってきたんです。

第二次世界大戦から昭和、平成、令和の時代というのは、まだ完全に歴史化されていない、センシティブな時代だと思うんですよね。大戦についてはそろそろ歴史化しつつあるような気もしますが、その後の学生運動の時代などは、当事者の方々がまだご存命で、完全に客観視できる段階ではないのかもしれません。

そんな中で、1950年代から60年代にかけての共産主義運動や学生運動について詳しく学んだのですが、**その暴力性に驚愕しました**。浅間山荘事件については名前は知っていましたが、全体的な流れの中で俯瞰して捉えることができていませんでした。

自己認識との乖離

マルクス主義についても、これまで理論的な部分だけを抽出して理解していたつもりでした。コテンラジオで資本論について学んだり、斉藤幸平先生の「人新世の『資本論』」の内容にも一定の共感を覚えていました。コモンズの活用などについては、法制度を整備してでも進めるべきだと考えているレベルで共感していたんです。

でも、マルクスが「労働者諸君、団結せよ」と言って革命を今すぐ起こすべしという主張をしていたからこそ、その後の暴力的な運動に発展していったという歴史的事実を改めて学んで、**自分の思想的立ち位置に対する認識の甘さ**を痛感しました。

僕は断じて暴力的な思想を持っているつもりはありません。ただ、自分がリベラル寄りで左派的な考えを持っているという自覚はあったので、その思想的系譜の中に暴力的な歴史があることを改めて突きつけられて、正直混乱しています。

農業を通じた思想的探求

そんな中で、たまたま「ショーファーム」の農民ラジオというポッドキャストを聞く機会がありました。これがまた、**バキバキのリベラル系ポッドキャスト**だったんです。なんと斉藤幸平先生がゲスト出演するレベルで、農園に定期的にお子さんと一緒に顔を出されているそうです。

彼らの発信内容には、時々「それはちょっと偏りすぎているのでは」と感じる部分もあります。でも、**実現したいと願っている方向性が、僕の考えとめちゃくちゃリンクしている**ことに気づいてしまったんです。

資本主義への複雑な認識

結局のところ、僕がこれまで資本主義の論理の中で企業家として成功しようと思っても一歩突き抜けられなかったのは、根本的にアンチ資本主義的な思想を持っているからなのかもしれません。完全にアンチというわけではないのですが、**資本主義を調整したい、修正したい**という気持ちは確実にあります。

共産主義国の失敗例や、現在の中国共産党の政治が完全に共産主義ではなくなっている現実を見ると、完全な共産主義を目指したいとは全く思いません。資本主義側の国に暮らし、資本主義の力学を活用して生きてきた自分としても、**修正資本主義**を目指すのが現実的だと考えています。

現代西側諸国の資本主義・自由主義の行き過ぎを感じて農民になろうとしているという点で、ショーファームの方々との思想的親和性を感じています。ただ、彼らほど強烈に打ち出したい気持ちも能力もありません。左右に100ずつパラメータがあるとしたら、僕は左側の50から60くらい、ショーファームの方々は80から85くらいの位置にいる感じでしょうか。

農業という実践を通じた模索

昭和史の本の中で、農業を行うことによって悟りを開こうとする団体が左側、共産主義側に分類されているという記述がありました。宗教的な扱いをされていたようですが、**僕は一人でそれをやろうとしている人**なのかもしれません。

ただし、資本主義を全否定しているわけではありません。様々な文明の力や、人口増加自体が良いことだとは思いませんが、たくさんの人間が幸福を目指せる社会を構築するのに、資本主義はかなりの部分で役に立ってきていると思います。

スティーブン・ピンカーの「暴力の人類史」を読んでいますが、暴力の発生率の劇的な減少にも、おそらく民主主義と資本主義がめちゃくちゃ貢献しているはずです。そういう意味では一定の支持をしているので、**完全に左側には行けない**というのが正直なところです。

新自由主義とリベラルの違い

これまでちゃんと調べもせずに、新自由主義とリベラルを同じものまたは似たようなものだと想定していました。でも、どうやらこれは違うみたいですね。ちゃんと勉強しなければ軽々しく発言できないなと反省しています。

この辺りを掘り下げると人生がかなり削られそうなので、どこまでやるかは分かりません。でも、**リベラルな行動をとりながら少しずつ勉強して**、10年20年後くらいには自分の足場がしっかり固まって、自分なりの生き方で幸福であれる状態まで、ゆっくりゆっくり農業しながら進んでいきたいと思っています。

まとめ:農業と思想の交差点で

今回の政治思想に関する学びは、46歳にして初めて直面した大きな自己発見でした。今更こんなことで面食らっているのかと言われそうですが、暴力の部分を誰も隠していないけれど、やはり目を背けて思想の部分だけ抽出して理解していたのが実情でした。

**共産的なあり方と資本主義的なあり方を、バランス良く組み合わせた生き方**を模索していきたいというのが、現在の率直な気持ちです。農業という実践を通じて、理論だけでは見えてこない現実的な解を見つけていければと思っています。

ニンニクの天日干しという小さな作業から始まった一日でしたが、結果的に自分の思想的立ち位置について深く考える機会となりました。農業と思想、実践と理論、これらが交差する地点で、自分なりの答えを見つけていく旅は、まだまだ続きそうです。

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