2月11日、建国記念の日。伊東市は大雪が降った直後で、家の屋根に20センチくらい積もっていた。静岡市にいた頃も雪は滅多に降らなかったけれど、伊豆半島はもっと温暖なはずなのに、今年は東京より降っている。下手したら雪国みたいな状態になっていて、その後もまとまった雨がザーザー降って、午前中はほとんど農作業ができなかった。
午後からようやく畑に出て、じゃがいもの畝を立てたり、育苗用の資材を追加調達したりしている。2月下旬には植え付けを開始しないといけないので、ちょっと慌ただしい。でもこれは嬉しいことで、じゃがいもが早く畑からどいてくれたら次のキュウリが植えられるわけです。
畑の片隅にビニールトンネルでプチ温室を作って、トウモロコシの育苗も開始してみた。温室なんて言ったら笑われちゃうかもしれないレベルだけど、自宅でホットカーペットを使って芽出しをした株がいっぱいあるので、明日はそれも畑に持ってきて実験していこうと思っている。
技術というものを高尚に考えすぎていた
田舎に移住してから、近所のじいちゃんばあちゃんとの会話は増えたけれど、どうしても込み入った話をする機会には恵まれない。向こうも可愛い子供みたいな感じであしらってくるし、こちらも引退したがっているおじいちゃんとして扱うわけで。来週はやたらと東京の用事が多くて、ほとんど東京にいる気がするんですが、込み入った話ができる相手と喋りたいという感じになっている。
なぜかというと、僕は長年「技術」というものをずっと誤解していたということに去年の秋ぐらいに気づいて、その話がいまだに腹に落ち着いていないからです。
僕はIT屋さんをしていて、たくさんのIT技術者と仕事を日常的にしている。だから僕のスコープに入る一番の技術ってIT技術なんですよね。でもそれがずっと???という感じで、IT技術というものの意味が腹落ちしないまま、かれこれ25年ほどITの仕事をしてきているわけです(驚きですよね。いや、僕が驚いています)。
何を言いたいかというと、技術というものをあまりにも高尚なものだと思ってたらしいんですよ。
もちろん技術を身につけているということは非常に価値の高いことだし、その認識については今も全く変わりません。ただ、ちょっと前までの僕は技術というものを高尚なものだと思いすぎていた。
例えばプログラマーがPHPとかHTMLを覚えて、それを使ってコードを書く。定まったルールに沿ってタイピングをして、定まった文字列を並べることによって、ブラウザーとかサーバーの中での処理が動く。そんなのを書けるのって別に技術じゃなくない?って思ってたんですよね。
これは完全に誤解でした。
じゃあ逆に僕がどんなものを技術だと言うべきだと思っていたかというと、例えばプログラミング言語を新たに作るみたいなことを技術って言うんじゃないか、と何か思い込んでいたんです。決まった記法を覚えて書けることは技術とは言わなくない?みたいな。
でもそれは技術の一部ではあるけれど、発明に近いというか。定まったルールの中でHTMLやCSSをタイピングして思った通りの画面を描画させる、これは技術なんですよ、やっぱり。
何を当たり前のことを言ってるんだって感じでしょうけど、僕の理解は「それは技術って言わないといいんじゃないかな」ってずっと思ってて、「こんな低レベルな作業、それは作業では」と思ってたんですけど、違うんですよね。
料理も農業も技術
記憶して作業ができて、再現性を持って実現ができる。各種の行動すべてを技術って言うんですよね。
例えば僕は料理の技術力がそこそこ高い自信があります。別に毎回毎回レシピ通りに、塩何グラムとか肉何グラムに対して塩を何グラムとかいう形でやってるわけじゃないんですけど、鶏の胸肉のハムみたいなやつを何度でも同じように作ることができる。
しかも相手にする鶏の胸肉は、ある時は200グラムだしある時は180グラムだし、ある時は購入してから3日経っているので水分が少々減っているし、ある時は新鮮でこれから水分が大量に流出するであろう状態である。そういう様々な状態があるんだけど、似たようなものを再現性を持って繰り返し作れる。
これ、技術ですよね。
これとプログラミングを使ってウェブブラウザ上に、デザイナーや企画者が満足するものを描画させることができる。何度オーダーを受けても必ず最後まで実装できる。これも技術ですよね。
多分これに気づく、これを噛み砕いて腹落ちすることができ始めたのって、農業を始めたからな気がします。
料理については、僕の昔の料理を知っている人には失笑されるかもしれませんが、今の僕の料理は居酒屋をやってもそこそこ単価が取れるレベルで美味しいし、十分な見た目をしている。毎日3、4品作っていつでも即時10品は出せるみたいな運用の技術を持っています。これは完全にコロナのおかげさまというのはあるんですけどね。
コロナ禍の中でUber Eatsでお金を浪費しながら、対して心も魂もこもっていないマクドナルドみたいなものをたくさん食っていた人たちも多々いると思います。でも僕の場合は料理の才能があったっぽい。
僕は何をやっても人並みより少しだけできるタイプみたいな才能の持ち方をしているんですが、それは才能ではなくて真面目に努力をするからだというのが僕の中の結論です(この話は過去にしてるんですけど)。僕が人より少しできるのは、比較対象の人々が努力をしてなさすぎるだけだろうねと僕は思ってるっていう話ですね。
話を戻すと、僕は料理に関してはそこそこ才能があったっぽい。何をもって才能があると言っているかというと、苦にならずにずっとやれるし、それを面白がって研鑽し続けられること。
例えば僕がおそらく苦手としているものは激しいスポーツとかですかね。やりだしたらまあ面白い、実際サッカーとかもやったら面白いんですけど、入り口でつまずくんですよね。バット振ってもボールに当たらないとか、ボールを投げても思ったところに行かないとか、リフティングが15回以上できないとか。入り口あたりでつまずいてやり続けない。これは才能がない。これを才能がないと言っています。
1回しか対処ができないけどリフティングが楽しくて仕方なくて、最終的にはもう永遠に落とさなくなるみたいな行動が取れる領域が、才能がある領域、才能を発揮できる領域なのであって。僕はスポーツ全般の才能は多分ないですね。テンション上がんないですもんね。
逆にギターに関してはそこそこ才能があったんではないかと思われる。謎にひたすら弾いてましたもんね、あの頃。自分でも思い出すこともできませんけど、何を考えていたんだろうってレベルでひたすらギターを弾いていた記憶がある。そういうことができちゃうということを、才能があると言っています。
別に大谷翔平レベルまでいけるっていうことを才能があるとは全く言ってなくて、没頭して苦もなくやり続けられることが才能があるっていう定義で喋ってますっていうところです。
農業に関しても、今日もさっき地主さんから急に声をかけられて「わーびっくりしたー」って言っちゃったんですけど、わざわざ挨拶してくださって。「よくやりますねー本当に」って言われたんですけど、別に皮肉がこもったということじゃなくて、すごいですねっていう感じで。
でも僕にとっては何もすごくないっていうか、楽しいからやってるだけっすけど。あと誰かやらなきゃいけないのにほっとかれるのが嫌でやってるだけっすけど、みたいな。この話はちょっと深入りしたくないので喋りませんでしたけど、誰かがやるべきことなのに誰もやらんなら俺やるよみたいな気持ちもめちゃあるっていうところで、そういう才能があるんですよね、多分ね。
農業に関しても才能があるって判定に自分がね、5年後とかに言ってられるといいなと思います。
例えば今年は生温い12月の後に、2月の冒頭に最強寒波と大雪が来たため豆類が半分死滅しました、みたいなことがあったし。来年は12月からずっと寒くて3月から一気に暖かくなりました、みたいな環境になったりするわけです。でもそういう様々な環境に即応して、同じようにエンドウ豆を出荷できるっていうのって明らかに技術ですよね。
なので農業技術の研鑽に関しては才能を持っているといいなと思うし、頑張っていこうと思っています。
話の主題としては、技術っていうものの認識をめちゃくちゃ間違ってたらしくて、技術というもののスコープ、範囲みたいなものを捉え直したら、技術者って楽しいんだなって思ってます、今は。
これからジャガイモの植え付けをしていきますけれども、昨年もジャガイモはしっかり収穫できましたし、今年もしっかり収穫できて、ジャガイモ栽培技術を及第点みたいなところまでいけるといいよねと思っています。さつまいももやりますし様々な作物をやりますので、様々な作物の栽培技術、これをこの地域で磨いていきたいなと思っています。
これが農業技術だと思いますので、これを研鑽していきたい、楽しくやっていきたいと思っています。
※この記事はポッドキャスト音声データを元にClaudeが書き起こし、編集したものです。
