マウンティングに注意して生きる

近所の居酒屋というかスナックというか、そういうところに常連さんがいるんですよね。おそらく研究者の方で、博士号も持ってるんじゃないかな、裕福で悠々自適に暮らしてらっしゃる、僕より二回りくらい上の方です。

その方がお酒が入ってくると、武勇伝を語り出すんですよね。世代的にも、マウント合戦が正義だった時代の方でもあるし、僕は正直そこまで不快には思わないんです。話のレベルも高いし、僕の言うことも結構通じるので、ついつい喋りすぎてしまう。

ただ、周りにはその方の喋りに不快感を持ってらっしゃる方もいるようで。僕も含めた二人の会話がうざいと思われてる可能性もなくはないな、とも思っています(笑)。これは僕自身も振り返らずにいられない話だなと。

コミュニティの中で知的な話ができる相手って本当に貴重で、だからつい前のめりになっちゃうんですが、同時にそれがマウント合戦の入口になってたりするんですよね。相手が武勇伝を語り始めると、こっちも「僕はこういうことをやってきて」「こういう成功体験があって」みたいなことを言いたくなってしまう。そのスイッチが入りやすいんだと思います。

うっかりマウンティング?

ここ数年ずっとそういった気持ちは抱えているんですが、ここ数日でまた急に強く意識するようになっています。うっかりマウンティングしてないかな、という自問です。

気をつけようとしているだけでも、まだマシだと思うんですよね。これは悪人正機説的なものというか、差別意識とか優越意識みたいなものを「自分が持ってしまう可能性がある」と認識して、それを改めようとし続けることとセットの話だと思っています。

「明日から一切マウンティングしません」「一切差別しません」「アンコンシャスバイアスも含めて断ち切ります」なんてことは、どう考えても不可能なわけです。だから、ひたすら「善かれ」と思い続けながら生きていくしかない。それが人間の性なんじゃないかなと思っています。

ふとした瞬間に、相手がマウントを仕掛けてくると、こっちも反射的に応戦してしまう。「自分はこういうことをやってきた」「こんな実績がある」みたいな話を。これは意識してやってるというより、ほとんど無意識なんですよね。だからこそ「より強く意識していかないとダメだな」とまた改めて思っています。

どうせ人に支えられて生きているしかない

少し大きな話になるんですが、どうせ生きているだけで人に支えられているわけですよ。見知らぬ人も含めて。今は色々な分断があって、人と人との関係が切り離されて見えにくい状況にもありますが、それでも誰かに支えられながら生きているしかない。

そこにネガティブなものを持ち込まないようにしたい。常に少しはネガティブな状態が人間のデフォルトだとしても、それを少しでもポジティブ側に寄せていきたいんだと思い続けて生きるしかないんだなと、また改めて感じています。

そしてそれを、行動として表していきたい。頭の中で思ってるだけじゃなくて。

コミュニティの話に戻ると、話せる相手が欲しくてディスコードに入ったこともあるんですが、他の人のやりとりをずっと眺めている時間を使えないんですよね。常に自分が動き続けるタイプなので、受動的に観察するのがどうも苦手で。わちゃわちゃするのが楽しいという人間に育てば、もっと生きやすかったのかもしれないなとは思います(笑)。今は一人で畑でクワを振ってるのが楽しいので、それはそれでいいんですが。

マウンティングの話もコミュニティの話も、実は色々なテーマに接続している感覚があります。差別意識、優越意識、人との距離感、自分の立ち位置をどう保つか。根っこは全部つながってる気がしていて、また折を見て話したいなと思っています。

とにかく今日のところは、自分への戒めとして。うっかりマウンティングしていないか、もう少し丁寧に自分を観察しながら生きていこうと思います。

※この記事はポッドキャスト音声データを元にClaudeが書き起こし、編集したものです。

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