7月の伊東から東京への帰路で感じた憤り
7月26日の土曜日、伊東から東京への帰路につく電車の中で、私は深い憤りを感じていました。普段から愛聴しているVoicyで、山梨県南アルプス市でお寺を営む横山瑞法さんの「別に危なくない法話」を聞いていたのですが、そこで語られていた内容が、私自身が抱えている問題意識と完全に重なったのです。
私は毎日1時間から1時間半ほどボイシーを聞いているのですが、横山瑞法さんの話は約1年前から聞き続けています。本当はYouTubeでもっと本格的な仏教の学習コンテンツがあることは知っているのですが、動画をじっと見ている時間の使い方を完全に断ち切っているため、音声メディアのボイシーが生活サイクルに合っているのですよね。
土地売買の複雑すぎる現実
横山瑞法さんがお話されていたのは、お寺の周りの土地を少しずつ買い集めようとする際の困難についてでした。土地というものは一コマ一コマがバラバラの持ち主で、それぞれに売る気があるかないか、状況が複雑で、飛び散り飛び散りで売り物件が発生するため、なかなか思うように買い集めることができないのです。
さらに困ったことに、そんな場所に急に家が建ったり、農地のはずなのに建物が建設されたりという謎の現象も起こるそうです。横山瑞法さんがやりたいことがあって購入を検討しているのに、そういった不可解な開発が先に進んでしまうという状況に、私も深く共感しました。
**最悪のケースは、登記されている地主の方がすでに亡くなっている状態や、消息が不明で連絡が全くつかない場合です**。思いっきり本気を出してコストをかければ発見できるのかもしれませんが、現実的には連絡の取りようがない状況が生まれてしまいます。横山さんも、使わない土地があれば購入して活用したいと手紙を出しても、梨の礫状態になってしまうことがあるそうです。
動かなくなる土地という社会問題
こういった状況では、土地が完全に動かなくなってしまいます。売買も成立させられませんし、所有権の移転も不可能になってしまうのです。これは明らかに法制度の問題で、国や自治体が代理権を行使できるような仕組みを整備しなければダメだと強く思っています。
私も現在、畑を一コマ手に入れて、その隣も隣も手に入れて拡大していこうと考えているのですが、地主の方とうまく連絡が取れなくなったりすると、賃借契約が締結できないため不可能になってしまいます。せっかくここに農民が一人いるのに、放棄地のまま放置される状態になりかねないのです。
さすがに全く連絡が取れなくて、どうにもならない状況になったら、使用窃盗くらいの気持ちで勝手に開拓しようかと考えることもあります。使用窃盗は返す気持ちがあって、ちゃんと返せば犯罪になりませんからね。または、明確な法的な主体者ではないご親戚の方々が周りにいらっしゃる場合は、お話を通して許可をいただいて使うこともできるでしょう。
都内に点在する廃屋という現実
この問題は農地だけの話ではありません。私が住んでいる東京の足立区でも、深刻な状況を目の当たりにしています。足立区は最近では犯罪も少なくなったと聞きますが、東京の中では外れた安い地域に住んでいる私の目には、住宅密集地帯の中に廃屋状態になっている建物がいくつも映ります。
**もう誰もそこで生活していない、長年放置され、ツタなどがバリバリ茂っている状態の家が、私の把握している範囲だけでも5、6軒あります**。短く見積もっても5、6年、おそらく7、8年以上は誰も住んでいない状態で放置されているのです。
私が夜な夜な散歩で行ける範囲は、せいぜい半径2キロ程度です。そんな限られた範囲でも、これだけの頻度で廃屋が存在するということは、都内全体で考えると相当な数になるはずです。なぜこんな状況が放置されているのか、本当に理解に苦しみます。
廃屋が生み出す環境問題
廃屋そのものを単体で見れば、「廃屋だね」という感想で終わってしまうかもしれませんが、問題はそれだけではありません。草や植物が生い茂り、人間が出入りしないことによって環境が淀むと、虫やネズミの住み家になってしまいます。場合によっては鳥なども住み着くでしょう。
これを大都会の人口密集地帯で放っておくのは、シンプルに間違っていると思います。「こちらの方は今、施設に入っていらっしゃって、うまくコミュニケーションが取れないので、法的に動かせません。10年放置」みたいな状況で、法律が間違っているから直せよ、と言いたくなります。
解決策への提案と法制度改革の必要性
調査方法や情報の把握方法については、確かに検討の余地がありますし、税金のかかる話でもあるので、そのために使うべきかどうか含めて、よく検討の上でルールを決めなければいけません。しかし、ある一定のコストをかけて調査員を3人1チームなどで組んで、ランダムにチェックすればいいだけだと思います。
**現代であれば衛星データを活用するなどすれば、それなりに発見できるはずです**。何らかの方法でチェックしていって、明らかに廃屋である状態が3年以上続いた場合、行政が一旦差し押さえるとか、借り上げるとか、何かをして、まとまったしっかりした調査を入れる権限を持つべきだと思います。
場合によっては、代理で売却してしまって、売却益については手数料を除いて、連絡が取れ次第返還する。ただし10年で有効期限が切れて、行政側にお金が入るという仕組みなど、素人の私がペラペラと考えても、こういうルールは作れるはずです。
所有権と社会的責任のバランス
もちろん、所有権の侵害という問題もあるでしょう。別に悪事を働いたわけではない場合もありますし、亡くなってしまっている場合は、どうにもならない状況です。施設に入っていらっしゃる方が施設から出てきて、「おいおい、家がないじゃないか」ということも、10年というスパンで考えれば起こりうることでしょう。
しかし、これは結構な社会課題だと思うのです。相続人が30何人いて、相続放棄の判断を30件もらって回らなければいけないという話もあるそうですが、何らかの形でなんとかしないとダメです。
人口減少社会における緊急課題
今後の社会構造を考えると、少子高齢化、特に人口減少の方が重要な要素になってきます。人口が減少していくので、必要な家の数が減るのが目に見えているわけです。ということは、今後どんどんこういう廃屋が発生していくことになります。
私は以前、茨城や千葉の田舎を車で走り回っていた時期がありましたが、あの時に見た光景を思い出します。ああいう状況をなんとかする制度を、真面目にもうすぐ立法するべき時に来ているのではないでしょうか。なぜやらないのかと思ってしまいます。
**有権者としての意識も当然高まりますし、その観点からは既に伊東市の市政のことを考えています**。ただ、今話した内容は多分市政の話ではなく、国政の話なのですよね。なんかとてもリーチできない話だなと思いますし、業界団体のように自分に利益を引き込むモチベーションがあるわけでもありません。
情報処理能力の進歩と行政の遅れ
こんなところで雑談として喋っておくぐらいしかできることはないのですが、絶対になんとかするべき問題を放置するのはやめてほしいですよね。この時代に、特に情報処理量は30年前から比べても何百倍、いや多分何万倍という速度感と処理量になっているのだから、できることはもっとあるだろうという長い憤りを抱えています。
伊東市長の学歴詐称問題について
話は変わりますが、伊東市長の学歴詐称問題についても触れておきたいと思います。これはとてもタイムリーな話題で、「伊東に行くんだよね」という話を友人だけでなく、農業関係の人たちに報告したりすると、「チラ見せの練習をしておいてください」と冗談で言われたりします。
正直、学歴の詐称に関しては、そこまで大きな問題なのだろうかという気持ちがあります。ただ、市政を任せる住民の側からしたら、少なくとも一つ嘘をついたよねという感覚があることも、一応理解はできます。
**でも、今の仕事がどうなのか、もっとそちらに目を向けた方がいいのではないでしょうか**。所詮ゴシップとしか私は受け止めていません。しかも伊東市ですよ。これが都知事とかだったら話は別ですが、県知事でも川勝さんがだいぶやらかしましたけれど、所詮静岡の、しかも人口せいぜい6万人の市の市長の学歴詐称とか、メディアの尺を取り過ぎだと思います。
さっさと話を終わらせてほしいですし、その点に関しては伊東市長ご本人自体も収束に向けた活動をしっかりしてほしいですね。炎上に炎上を重ねているので、もう勘弁してほしいという気持ちが、転入者としてはあります。
まとめ:行政改革への長い憤り
今回は行政に対する長い憤りについて語らせていただきました。土地の相続問題、廃屋の放置問題、これらは決して個別の問題ではなく、日本社会全体が抱える構造的な課題です。人口減少社会を迎える中で、これらの問題はますます深刻化していくでしょう。
法制度の改革は確かに時間のかかる作業ですが、現在の情報処理技術を活用すれば、もっと効率的で実効性のある解決策を見つけることができるはずです。私たち一人一人ができることは限られているかもしれませんが、こういった問題意識を共有し、声を上げ続けることが重要だと思います。
農業に従事する者として、また一人の市民として、これからも社会の課題について考え、発信していきたいと思っています。皆さんも身の回りで似たような問題を感じることがあれば、ぜひ一緒に考えていただければと思います。
※この記事はポッドキャスト音声データを元にClaudeが書き起こし、編集したものです。
