大局は見誤らない

あんまり広範には公言していないんですが、個人的に過去14年間の経営経験の中で、一つ密かに誇っており、マウントなどにならず対等に話せる相手には公言していることがあります。

それは、経営戦略レベルでの間違いを犯したことは無いと思う。
ということです。

経営戦略レベルというのはいわゆる大局観がちゃんとあれば、そもそも間違いようが無いと思っており、であれば誇るようなことでも無いんだよな。とも同時に思っています。

が、実はそれすら危うい人のほうが多いのかもと最近感じることがあったので書き付け。

大局観について

僕の考える大局観というのは例えばこういう感じです。

  • 2020年代いっぱいまたはそれより先までIT技術のニーズは伸びる一方だな
  • 僕の生きているせいぜい2060年代くらいまでの範囲では不老長寿の時代は来ないな
  • 小売、サービスなどの領域では人間が価値を出す範囲が少しずつ狭まっていくだろうな
  • 中期的には日本は少子高齢化によって薄利多売ビジネスが厳しいだろうな

とか、これくらいのざっくりしたというか、粒度の大きなちょっと先までの予想のことです。

この粒度の大きな先までの予想をもとに、どっちの方向に舵を切っていくか、を考えて決めるのが経営戦略のレベル感だと考えています。
反例を出すと、粒度を下げ、解像度を上げていくほどに不確実性が高まり必ずしも正しい選択ができにくくなっていく感覚はあるのですが、例えば自社サービスのサイト内に掲載するバナーの色、とかの一番小さな粒度の話は結果への影響度合いが小さいので、不確実性は大変高いですが、とりあえずやってみるで良くて、そういう話は戦略レイヤーとはちょっとかけ離れているなという考え方です。

実例としての今

今現在、僕がメインで経営している企業は、自社サービスを中心とした企画制作企業から、受託開発を中心としたソリューション企業に変革完了した、という状態です。
この現状は全然嬉しいものではないのですが、これに関しても大局観は間違えない、というやつで

  • 自社サービスの展開領域の将来性はとても暗く、いつ立ち行かなくなるのかの時間の問題である
  • 反面で、自社サービスで培ってきた技術、経験は大局から見た場合、社会的ニーズがとても高い

という大局観から5年かけて変革してきて今。というとこなわけで、経営者であればこれくらいの大局観やそれに対してのアクションを取りきっていく胆力は必須装備だと思うわけです。

もちろん、大局観が間違っていなくても内部外部の要因によってどうにもならないというパターンはあり、その際に人員含めて整理をし、存続する、または逆に廃業を選択する、なども必要な行動であり、これはとても胆力の要る話で、そこまでが必須装備だと。
でないと従業員、顧客、個人的関係者にかえって迷惑をかけてしまいます。

大局的に間違える人々

大局的に間違える人々がいるなというのが、具体例として実家の人々です。
実家は一応50年商売をやっており、ある角度で見たら立派な話なのですが、ここ15年〜20年は明らかに大局観を欠いた行動を選択し続けており、そのあおりがこちらまできているのでたまらんなと。
というかあおりがこちらまで来ており、自分の生活を切り詰める一方でかなりの支援をしているため、この記事を書くに至ったというのが正しい順番です。笑

ちょっとだけ具体的なことを書くと、自社の事業が縮小傾向であるのに、工場拡張してしまうとか、僕が以前手伝っていた頃にも意見が完全に対立した、狙う市場とポジショニングの取り方の問題、今現在何故か暮らせないほど困窮しているのに、ちゃんとした収入が確保できる方法を取らない、とか、、、そしてどうも、その大局観の見誤りが、どうやら内外の情報を読む力の無さに起因してきているなと。

代表取締役は財務諸表をちゃんと読まないといけないし、現代ではグローバルな産業の動向に無知でいては行けないと思います。

結論。勉強大事。

おしまい

大局観のない行動を取り続ける人々を止める方法はあるんだろうか。笑
今の僕のできることは、支援を止める。なので実行に移しています。
いい気分ではない。

タイトルは、こんにゃくは太らない構文。

ではまた〜。

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