今日は4月4日の土曜日です。朝一で畑仕事をしていたんですが、雨が降ってきてしまったので早々に退散しました。雨に降られると作業が限られる分、余裕が出るので、こうして喋っています。
帰りに培養土を買って帰らないといけないんですよね。家で苗作りをするのに必要なんですが、家にストックがなくて。畑に置いてあるやつは今頃ずぶ濡れになっているので、それは使いたくないなと。
春になって、あれやこれやといろんなことをしています。トウモロコシが10何株、定植(育苗状態から地面に植えること)に移行してもらっています。トウモロコシは一本200円くらいのものが一株からできる程度なので、商品作物という気持ちでは全然なくて、近所のじいちゃんに頼まれたからやっているだけです。虫や鳥の被害がひどいので、上手にできる気は全くしていません。
トマト、ナス、きゅうり、スイカあたりの育苗もしばらくやっていまして、トマトとナスは育苗開始から定植まで2ヶ月以上かかります。花をつけてから定植しましょうということなので、しばらくずっとポットで育てながら、たまに水や肥料をやるというのを続けていく形ですね。
自分はそこまでいちごが好きというわけでもないんですが、3株ほど買ってきて植えました。ついさっき植えたところです。友達でいちご農家を始めたやつがいて、北海道釧路市なのでまだ地面が凍っていて何もできないと言っているんですが、そいつと話が弾むように自分も育ててみようかなと。いちごは多年草にあたるので3、4年しかテロメアが持たないみたいですけど、植物生理を観察すること自体が楽しいのでやっています。
ジャガイモは株に個体差が非常にあるので管理が煩雑だなと思いつつ、そこそこの高さになってきたので芽かきをしています。芽が多いと数的には芋がたくさんできるんですが、一株が使う空間と養分のことを考えれば少し数を減らした方が肥大しますよね、というロジックだと思います。引っこ抜いた芽の部分がもったいないので近所に植えたりもしていますが、商売でやるときはこんなのんきなことはやっていられないでしょうね。
あと隣の土地もお借りできることがようやく決まりまして、農業委員会の定例会が開かれて承認されれば、8月1日から正式に賃借開始の予定です。これでトータル5500平米の一帯を制覇したという形になります。5000平米以上やっていたら200万くらいは売り上げを上げていかないといけないですし、作業量も相当ですし、資材にかかるコストもあります。昨日もJAでデカいトラクターを買えと勧められましたけど、どう考えても今の僕には必要に見えないんですよね。安定してそれなりの金額を売り上げられるようになるまで、やっぱり3年から5年はかかるよなというのを日々実感しながらやっています。
水はけについても課題があって、雨が続くと山の水が流れ切るのが間に合わず一旦畑に溜まってしまう構造が発見されているので、これに関する工事をスコップで何トンもの土を移動させながら手でやるつもりでいます。雨続きが本当に勘弁してほしくて、やらなきゃいけないことが山積みなのにという感じですね。
方言の伝播がわからない
今日の本題は方言についてです。結論から言うと、なんでこのような方言の伝播をするのか、やっぱりわからないなというところに着地しています。
言語学ラジオなんかでも、長野のどこかの村だけ関西弁が混じっているという話が出てきたりしますよね。それって古い街道の影響で、東海道が富士山の下を回るのに対して、甲州街道は富士山の北側を回る、そういった人の流れが方言にも影響しているというわけです。
僕は静岡県静岡市出身で、17、18歳まで静岡市に住んでいました。昭和末期生まれなので世代的にもそこそこ古くて、親や祖父母世代からの影響も普通に受けてきています。静岡に住んでいた頃はバリバリ静岡弁で、今も微妙に出ることがあります。
静岡市というのは、東に行くのか西に行くのかという身体感覚として、東京側に属している感覚がずっとあります。大学進学を考えたときも、東京大学を目指すのか名古屋大学を目指すのかといったら普通に東京を目指すわけで、地理的にも心理的にも東側という感じです。これはそうじゃないという人もいると思いますけど、僕はそう感じています。
浜松なんかは語尾が違って、名古屋弁をちゃんと知らないので語れないですが、名古屋の方に近いという認識をしています。親戚が浜松にいたので、いとこあたりからそういう話をよく聞きました。だから県境がなくても方言がそこで止まるということはなくて、浜松の方言は愛知と静岡のミックスみたいになっているわけで、不思議だなあと思います。
地理的な話をすると、江戸時代は川の渡しで人に担いでもらって川を渡っていたわけですよね。江戸幕府が軍事的な目的から大軍を一度に送れる橋を作らせなかったというのが歴史的事実だと思うので、そうだとすると浜松と静岡の間にある大きな川はすごい地理的障壁だったわけです。東海道は海側をずっと宿場町が続く構造なので、旅をする人たちはみんな海側を歩いていたと。そう考えると、浜松の方言が西寄りになっているのはとても納得がいきます。
ただ逆に、伊豆半島が駿河と似た方言であることが不思議だなというのが今の疑問です。伊豆半島って地形的にはかなり独立していますよね。それでも方言が似ているというのは、どういう人の流れがあったんでしょうか。方言系の本を何冊か読んでみたいなと思っています。最近は図書館に車で行かないといけない距離なのであまり使えていなくて、東京にいたときは徒歩3分のところに図書館があったので気軽に借りられていたんですが、なかなかそうもいかなくなりました。買って読んでメルカリで売るという手もありますけど、それはそれで手間がかかりますよね。
方言の伝播って、街道の発達、川などの地理的障壁、世代間の伝承、いろんな要素が絡み合っていると思うんですが、それでも説明しきれない部分が残るんですよね。言語学的にはある程度解明されているのかもしれないですが、調べれば調べるほど面白そうな領域だなと感じています。
今日はだいぶあちこち喋ってしまいましたが、このあたりで。
※この記事はポッドキャスト音声データを元にClaudeが書き起こし、編集したものです。

