ベトナム・ハノイに住み込んでいた頃のこと③

どうも。少々間が空きましたが続きです。はにまです。

ハノイに住んでいた頃のこと、最終回です。↓は前回の②。

最終回は日本への移住から

とある記事にも書いたとおり、ハノイに住み込んで丁度1年が経った頃=株式会社グラタンを設立して1年が経った頃、唐突に懇意にしていた会社を引き継いで経営することが決定し、日本に帰りました。

2016年1月のことでしたね。いかに唐突だったかは↓の記事にも経緯を書いたり書かなかったりしました。

本当に唐突だったので家財道具も一切持っていませんでしたが、会社の付近で民泊を転々としていました。
ちなみに、ベトナムも諸外国と同じく、基本的な家具はFurnished=家具付きという体裁で移住に家財道具が要らないのがポイントです。
もちろん本当に基本的なベッド、ダイニング家具一式、調理器具一式程度なので、普通の方々であれば棚やら何やら買い足すと思いますが、ミニマリストはにま氏は何も買わなかったので、出る分には困りませんでした。

二足のわらじから統合へ

新たに一社引き受けて、規模感的に東京に軸足を置くことにはなったわけですが、当然ながらもともとやっていた会社を急にたたむわけでもないので、その後3年近く二足のわらじ状態となりました。

なので、ハノイの家はハノイの家で維持しつつ、東京にも部屋を借りるという二重生活をしておりました。

折しも日本は空前のエンジニア不足。色々色々経緯がありまして、じんわりとハノイにエンジニアリングの軸が寄ってきまして、最終的にオフショア子会社を設立、開発リソースは統合となり、グラタンは既存の少額チャリンチャリン事業のみを残して一旦放置となりました。
そして今やハノイ拠点も20名前後のエンジニアを抱え、紆余曲折は毎日のこと、開発に経営に楽しませていただいています。

その後はよりベトナムとの関わりを深め、過去2回の社員旅行もみんなでベトナム。
総勢40名の社員旅行とか相当なカオスで面白かったです。

本当に良いメンバーと巡り会えたので、今後も深く関わっていきたいなあと思います。思いますが、がんばります。

おしまい

今現在までのベトナムとの関わりの記録でした。

気軽に海外に出てしまう性質はイラッと来ることに親譲りかなあと思います。
そういう姿を見てきたから違和感がないというか。負けた気になるのでこえてやります。親は。

ではまたー。

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