タイトルのとおりですが、オタクになりきれないコンプレックスを持っています。
明確にこの意識を持ち始めたのは20代後半だと思いますが、もともとどちらかといえばオタクだと自認してきたのですが、どうやら違うようだと気づき、それがもはや近年の時代の変化とともにコンプレックスにまでなってきました。
オタクというものの定義が25年ほど前と比べて変わってきている感覚がありますが、生まれてこの方どちらかといえばオタク寄りの趣味嗜好を持ってきた自覚があります。
姉は生粋のオタクで、やおいなるものに小学生時代から慣れ親しんでいましたし、始めて触れたアダルトコンテンツは兄の所持していたエロ漫画??だったかな?違うかも、エロゲ雑誌かも。とにかく二次元でした。
ゲームも相当やってきましたし、映像コンテンツであれば三次元より二次元のほうが優れているくらいまで思っています。<完全にオタクの思考
でも、残念ながらオタクと名のれるものがないのです。
そもそもオタクとは
https://ja.wikipedia.org/wiki/おたく
おたく(オタク、ヲタク)とは、1970年代[1]に日本で誕生した呼称でありポップカルチャーの愛好者を指す。元来はアニメ・ゲーム・漫画などの、なかでも嗜好性の強い趣味や玩具の愛好者の一部が二人称として「お宅」と呼び合っていたことを揶揄する意味から派生した術語で、バブル景気期に一般的に知られはじめた。その頃は「お宅族」、「オタッキー」、「オタッカー」と呼ばれた。明確な定義があるわけではなく、現在はより広い領域のファンを包括しており、その実態は一様ではない。
Wikipediaより
Wikiによるオタクの定義はこちらです。
幼少期=80年代後半〜90年代中盤ごろには確かに僕はオタクに分類されるカテゴリにいたと思います。
たがしかし、上記引用の最終部分にもある通り、オタクというカテゴリの解釈はその後大きく変化してきたと認識しています。
オタクという言葉から得る印象の変化に関する個人的考察を少々。
2000年代中盤辺りからだったと思いますが、ファッションとしてのオタクという解釈が発生してきましたね。
遡ればもっと色々なきっかけがあるとは思いますが、明白に流れを変えたのはエヴァンゲリオン辺りかと思います。
圧倒的な認知を獲得しつつ、オタクの琴線に触れる世界観・キャラ・ストーリーを兼ね備えたコンテンツ。
それ以前にもガンダム・マクロスなどなどコンテンツパワーとしては全く劣るところのない作品が多数ありますが、時代と相まってオタクコンテンツがオタクの殻を破ったのがエヴァかな、という個人的な振り返りです。
僕の解釈で言うオタク
そんなわけで、オタクの解釈が広がって久しい今日ですが、僕の解釈で言うオタクというのは二次元大好き=オタク、みたいな短絡的なものではないのです。
今や誰もがなにかのオタク、という程度にはオタクの概念は広がっていて、例えば2010年代以前で言えばざっくりおしゃれ、みたいな価値観もファッションオタク、と解釈可能な状況まで来ているという理解です。
価値観の細分化というか、もともと自由に存在していた価値観が、細分化された状態で受け入れられる社会に変化してきた、ということでしょうか。
少しだけ補足すると
- おしゃれさん=ファッションオタク
- アニメ好き=アニメオタク
- バンギャ=バンドオタク
- アイドル好き=オタク
- etc…
ということです。まあ、賛否はあれどここは論点ではなくあくまで僕の目から見た現実なので、これはこれとしてください。
その上で僕の解釈で言うオタクとは、
- 特定のなにかにハマりすぎているあまり、他の価値観を認められないし、ハマっている自分の姿を客観視できないためどこか滑稽な存在。
です。例えば
- コミケの来場者が安定の黒=二次元にハマりすぎ、三次元の自分が他者からどう見えるかを考えることをやめた人々
という解釈です。
服飾や化粧品にものすごくお金をかけていたり、インスタやTikTokのためにやたらとイケてる自分を演出するために高額な支出をしている方々なども僕のメタ解釈としてはオタク=ハマりすぎてどこか滑稽です。
表面的なlike数の話ではなく、実際に目に見える他者からどう見られているかを完全に無視しているという意味で、僕の中では同じです。
突き抜けるとすごいオタク
で、そういうオタク観を持っている私ですが、オタクを卑下しているのかというとそうではなく、しっかり突き抜けたオタクはすごいし、突き抜けなくても多分それは幸福の一つの形だと思うわけです。
- 例
- コミケガチ勢
- 三次の人からどう見られるかとか知ったことじゃないし嫁がいれば幸せ
- 承認欲求ガチ勢
- Likeがつけば幸せだし突き抜けるレベルでやっていくともはや商売になるので幸せ
- コミケガチ勢
ちと乱暴ですがこういうことです。
なお、別にオタ活が直接商売、収入にならなくても、その気質は実は商売になると思っています。
会社からの言いつけで実行しているプロジェクトにも、持ち前のオタク魂を発揮すれば一切の妥協なく、時間の消費を惜しむこともなく大きな成果を上げられるチャンスがある、とかです。
それに、独特のセンスで欧米で有名になっているファッションデザイナーとか絵画諸々のアーティストなどもここに含みます。枚挙にいとまがないというやつです。
オタクになりきれないコンプレックス
色々書いてきましたが、こういうわけで僕はオタクになりきれないコンプレックスを抱えているのです。
なんでもというわけではないですが、ビジネス系では結構な広い範囲で及第点を取れてしまうタイプなのですが、突き抜けた一個がないんですよね。。
僕は自分で考えた新規事業をいくつか実行に移したり、その手前のFS的な段階のネタをいくつか持っていたりするんですが、、、ほら、1個に絞れてなく気が散っていますよね。
これが今後の人生において吉と出るのか凶と出るのかは、生きてみてのお楽しみですが、幸福度で言ったらどちらかというとオタクになりきれるほうが良いんじゃないかなー。と思っています。
実際、周囲の環境が変わろうが、変人扱いされようがまっすぐ進めるのって才能だと思います。
それをやりきった先に成功があれば史に名を残すし、ダメでも幸せっていうね。羨ましい。
どうにかオタクになれないもんでしょうか。。。
おしまい
最近冒頭の無駄な挨拶をやめました。エコ。笑
あと最近キャンプやら農園やら遊んでいるエントリばかりだったので、別に役に立つやつじゃないけど久々に内発的な内容をかけてよかったです。
遊びがコンテンツになるっていうのも良いんですが、こう、ネットに自己を上げておくというコンセプトで始めて続けている割に自己とかけ離れていっている状態にすごく違和感だった、という感じですね。
どちらかというと遊びよりも仕事とか、社会とどう向き合って、その結果自己承認できるかというところに思考を傾けて生きていると思っているのですが、出そうと思うとまあまあ気を使うというか労力が大きいというか、多分恥ずかしいんでしょうな。
この辺は乗り越えていきたい。
ではまたー。
コメント
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