日々の学びはAPI開発

子供の頃、「昨日学校で習ったことテレビで言ってる!世界は俺中心にできてるのかな?」って思ったことありませんか?笑
結局世界は俺中心に出来てる問題は別の話でやりたいなと思いますが。。。この現象の正体は

新しいことを学んで理解したので、たまたまテレビで目/耳にした出来事について、これまで理解できないために認識できていなかった事柄が理解出来、それが自分にとって初だったので新鮮な感情が生成された。

っていうことだと考えています。
つまり、APIが実装され、DBにある情報と突合できたので情報が意味を持ってCPUで処理できた。的な。

最近よくよく思うのですが、知らないと反応できない↔知っていると反応できるということを理解していると、日々の学びの取捨選択、かけるべき時間/労力の判断などがより適切にできるし最高なんだけど、知らないことが多いということも同時に知るというか、無知の知。です。

人間が一生に知ることのできる事柄、factは限られていることは自明の理であり、基本的には取捨選択をするべきだと思うんですよね。
無限にタレントの不祥事仕入れてたら理解できるものもできなくなってしまうので、そういうのは早々に捨てたほうが良い。

無意識にやってきたことが言語化できたので、きっとAPIが整ったんだなと思います。

今、三重県におりまして伊勢神宮周辺を回ったり熊野古道をちょこっとおもったりしておりますが、そもそも神話をある程度知ってて、興味を持っており、APIが備わってるから楽しいのであって、タレントの不祥事頑張ってinputしている方々が熊野古道へ来てもエラーしか吐かないわけですよね。笑

わかる側になれて良かったと思うし、今後もどんどん良いAPIを開発=日々学んでいきたいものです。

ではまた〜。

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