ベトナム・ハノイに住み込んでいた頃のこと①

どうも。人生=旅です。はにまです。

コロナでネタが作れませんし、思い出でも掘ろうかと思います。

なぜベトナムに住んでいたか

バックグラウンドとして中国の会社の話があるのですが、流石にあれは長引くのでその瞬間の状態だけを書き留めておいて別記事に譲ります。

その時の状態は
・上海の会社が急な円安でピンチ
・製造拠点を模索してカンボジアへ
・カンボジアを断念しつつも滞在中に周辺国を視察できた
という感じです。

カンボジアのお話は↓にて。

んで、並行して試しに上海の開発系の仕事をクラウドワークスで投げてみたんです。
すると、ベトナムからの応募が4〜5件ほど。
その中からコミュニケーションが成り立つ相手先に3件ほどの仕事をバラバラと依頼してみました。

あくまでテスト発注なので1件あたりの規模感としては30〜50万円ほどだったと記憶しています。
中国向けに、ゲームのローカライズに関わる開発業務を頼んだ経緯です。

今もかもですが当時身軽だったもので、これくらい委託したらもう全員と顔を合わせてくるかっというノリで、ホーチミンへ。
ハノイじゃないんかいという話ですが、ホーチミン1件、ハノイに2件委託したのですが、当時カンボジア拠点だったので、近場から行ったわけですね。

あと、ホーチミンのが熱帯で華やかなので、日本人はどちらかといえばホーチミンを選ぶ人が多いと思います。オレオレ統計です。

まあまあ普通に3件とも苦労はしたけど形にはなり、中国大陸へ配信をできました。

なぜに結局ハノイへ?

3件委託し、皆さん誠実に最後までお付き合いいただけたのですが、結局はハノイの某K社との提携を選択しました。
これがまたその後5年に渡るあれこれ引きの強い案件だったわけですが、当時に関してだけ言えば、彼らはちょうど起業準備中だったのですね。

ベンチャーかぶれの私はマイナー出資を打診するも断られました。が、新設法人の未来への期待感とか大好きなので、そのまま彼らのオフィスに居座る形でファーストクライアントになり、長年お付き合いさせていただいた次第です。

K社のメンバーには、2名も東京の某ゲーム系企業出身者がおり、僕の案件にも非常にぴったりでした。
彼らとの出会いがなければ、今の僕も、今の僕らのベトナム子会社もなかったわけで、僕や僕らの10年を左右してくれたとても良い出会いだったなあと思っています。

一旦締め

どちらかと言うとタイトルの「住み込んでいた頃」の話というよりは「住み込むと決めた」話になってしまいましたが、これはつまり、書いているうちに読むに耐えない駄文が長文になりそうだと思い、途中で①をつけ、②につなぐという方針変更をしたものです。

まーどうせコロナでネタも少ないですし、三部作くらいにしたほうが書く方も読む方も楽かと思いますので一旦このへんで。

ではまた近々ー。

コメント

  1. […] ベトナム・ハノイに住み込んでいた頃のこと①どうも。人生=旅です。はに… […]

  2. […] ■ハノイ1年ちょい住んでましたな。今も子会社があるので最もゆかりのある地。ハノイについては別記事で書いたのでリンクをぺたっとしておきます。 […]

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