一人では成したいことが出来ないから諦めないというエゴ

実家が事業をしていまして、倒産寸前状態をかれこれ10年以上やっております。
まあ、他人の事をどうこう言っている余裕は僕にもなくて、倒産はちらつく程度には存在感を感じている昨今です。

まあ、経営能力が低いというか、事業家に向いていない精神構造ではあるなあと思うものの、やめない、という選択を毎秒し続けている今日このごろです。

これはエゴではないのか問題

まあ、ここはプライベートスペースなので少々散らかった論理展開になるかもしれませんが、とりあえず書き付けておきます。

実家の経営、大分以前から傾いているのですよね。
僕は身内としての提案として、一旦現在の法人格は整理をつけた上、再度創業するという方法を提案し続けているのですが、やはり埋没コストといいましょうか、50年続いた法人格を捨てきれないようです。

そして、その結果論として、今現在僕は十分なはずの金額の年金を受け取っている両親へ仕送りをせざるを得ないという状況が続いております。
両親という自然人への支援というのは、もちろん限界はありつつも全くやぶさかではないのですが、謎におまけで付いてくる法人の維持のためにその支援金を使われてしまうというのはどうも。。。筋が通っていないと、少なくとも僕は考えています。

んで、つまり、自分が何かを成したいために諦めない、続けるを選択したときに、他者に対して不必要な負担を強いるというパターンが存在するのだな、という理解がここで発生しているということを言いたかったわけです。

翻って自分の話。

僕が経営している企業も、即座にということはないものの、現状維持であれば遠くない未来に銀行へのリスケ要請、従業員給与の削減等々、関係各位へのネガティブな影響を与えつつ存続するのか、という命題にさしあたります。
もちろん、甘んじてその段階へ進もうということではなく、現状打開に関しては毎秒思考を巡らせていますし、多様のアクションを取っていますが。

こういう流れで考えていくと、続ける、諦めない、というのは果たしてエゴではないのか。
ということにまた向き合うことになるのだなあという。現在感じている個人の感想です。

おしまい

文章のみだと暗い感じになってますが、先行きをめちゃくちゃ悲観しているためこのように書いた、という感覚は全く無くてですね。。。考察するとこうだなあと思っている。という感じです。

当然ながら全く諦めるべき状況にないし、前向きな芽生えもなくもないので、立派な作物に育てていく所存。

ではまた〜。

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